2019年5月25日(土)

朝早くに起きて何かしら活動しようと思ったけど結局昼過ぎに起きて、何も食べずにコンサドーレの試合を見たら16時になった。

昨日は会社の何周年記念何ちゃらのイベント受付要員に駆り出されて21時まで都心の大きいホテルの会場で仕事があった。残りの1時間くらいは会社スタッフの慰労会で、びっくりするような豪華なバイキングの残り物を食べて、赤身の肉とか、酒とか遠慮せず食べた。中途採用で入って半年で知り合いも多くなく、誰かと話して楽しい気持ちになることはないので、少なくとも美味しいものはめちゃくちゃに食べて帰ってやろうという気持ちだった。

結局一緒に受付業務をしていた、去年新卒で会社に入った2人と一緒に食事をとることになった。一般的に新卒で会社に入るような若々しくてバカそうな奴らじゃなくて、なんだか紆余曲折を経てここにたどり着いたんだろうなあという2人で、好印象だった。

2人は会社役員の人たちにも可愛がられており、自分たちのテーブルに役員のおじさんたちが来て、若い2人を楽しそうにからかっていった。自分はというと、去年中途採用で入社し、上司は偉い人に僕を丁寧に紹介してくれたわけでもなく、日々役員の人たちと同じフロアで仕事をしているけところ今の所直接的な接点がないので、役員のおじさんたちとは話すことがなかった。おじさんたちは新卒の2人に楽しげに話しかけては自分をチラッと見て、気を使っているのか、こいつ誰なんだと思ってるのかはわからないけれど、その度に気まずそうにしているのをみて、自分はその場を離れたくなった。「こんなところにいないでどっかいって好きなもん飲み食いしたいな」とも思ったけど、新卒の2人に気を使わせたくないので、役員のおっさんたちが焦れていなくなるのを図々しく待った。

帰りには会場に飾ってあった花が花束の形で持って帰れるようにホテルの人たちが用意してくれていて、選んだ末、黄色と赤の花が混ざった束をもらって、新卒の2人と一緒に会場を後にした。

花束を持って山手線に乗って、そこから都営浅草線中延駅までいった。五反田から歩いて家に帰ろうとも思ったけど、片手には花束持ってるし、汗かいてベタベタで不快であったので、五反田から地下鉄で帰ることにした。地下鉄の五反田駅ホームで電車を待つのはいつでも本当に苦手だった。どの駅で待つよりも、疲れを感じると思う。重力がそのほかの場所に倍なんじゃないかと本気で思う。椅子に座れても、何かの圧力を体に感じる場所だと思う。

自宅アパートに帰ってきて花束を入れるための花瓶はないのでその日飲んだウィルキンソンのペットボトルを切って簡易的な花瓶を作って水道水を入れて花を入れてテーブルに置いた。テーブルには不要なものが多くてごちゃごちゃしているので、せっかく花をおいても全然華やがない部屋に住んでいる。脇を歩いた拍子にそれを倒してしまって、雑巾代わりに使おうと床に置いていた片方だけの古い靴下で床にこぼれた水を拭いた。こういうのはまあ慣れてるし、別にがっかりはしなくて、床の掃除代わりになったからまあいいやくらいだった。

ペットボトルの花瓶がやっぱりもろいということが分かったので、空のトマト缶があったのでそれをさっと洗って花を入れ直した。これはペットボトルよりも安定しているらしく、今の所まだ倒れていない。ごちゃごちゃした部屋に、飾りになる訳でもなく花を置く理由はまだわからない。

昨日帰る時、東京駅から五反田に向かう山手線で花の接写を撮って「仕事で花をもらった」と友達に送った。メッセージで「おまえ女だね」と返ってきた。「花の絵を描けるかもしれない」と送ったら「虫が湧いて、虫の絵も描けるな」とイヤな答えが返ってきたので「虫は動くので描けません」と返した。結局絵は描かないだろう。

そんな金曜日だったので家に帰ってすぐにシャワーを浴びて寝ても、結局起きたら昼過ぎだった。そんなの慣れているから、別に焦らないけれど。お茶漬けを食べながらサッカーを見ていたけれど、おなかが空いて17時過ぎに駅前の松屋にいってビビン丼を食べた。その前に公共料金も払った。昨日は給料が振り込まれる日だったから。ビビン丼は、大学入試で仙台に行った時、仙台を離れる前に、仙台駅前の松屋(今はたい焼き屋がある隣の松屋)で初めて食べたものだった。ビビン丼は最近レギュラーメニューからなくなってすごく残念で、たまにもったいぶるように復活するけれど、またレギュラーメニューに戻って欲しいものだ。松屋を食べて近くのパン屋でカレーパンとクリームパンを買って、部屋に帰って食べたら眠くなり、結局起きたら21時だった。

こういう風に1日を無駄に過ごすのは慣れているもののやっぱり悔しいので、ダラダラしながら22時外に出た。東急線にのって大井町のSEIYUで買い物してこようと思ったけど、夜の大井町には飲み屋とSEIYUしかないので、本を見たかったから武蔵小山まで歩くことにした。セブンでアイスコーヒーをかって歩きながらダラダラ向かった。春が過ぎて暖かくなってすごしやすいいい季節になったな。白いTシャツとサンダルで外に出ていた。

もう1日が終わろうとしている武蔵小山のアーケードに入って、ブックオフに向かった。最近柴崎友香の『わたしがいなかった街で』を読み終わって、これは自分の理想に近い小説だなと思ったので、その人の本を探したけれどなかった。何か手ぶらで帰るのがイヤだったので、岩波文庫のあたりを探していた。何か夢中になれる小説か詩集か哲学書かそういうものに出会えるんじゃないかと期待していろいろみるけれど、結局いつも見つからないものなんだろう。

柴崎友香の『わたしがいなかった街で』では大きな出来事が起こるのではなく、30代中盤の契約社員の女性が、結婚相手に逃げられて、自宅で戦争のドキュメンタリーに釘付けになっていたり、友達が若い男と結婚するのに、羨ましがるような描写があるわけでもなく付き合っていたり、一度読んだあとに、結局何が書いてあったんだろうと思い出しても具体的なことが思い出せない小説だった。契約社員で、若い社員が優先的に正社員になれる機会を得るところを見てしまい、焦るわけでなく仕方なくその状況を受け入れているところが、他人事に思えず自分の励ましになった。またなんらかの事情で友達の親父が自室に入ってきて、戦争のドキュメンタリーを見ているのを見られて、「こういうの昼間からみるもんじゃねえぞ」と主人公が言われたのが小説の中で一番理不尽だと思った。

最近は映画もドラマもろくに観れる気分じゃなかった。アマゾンプライムでいろいろ試すんだけど、冒頭の何らかのシーンで自分の感情を動かされるのが苦痛で、すぐに止めてしまうのだった。

例えば長澤まさみがでている『ロボコン』では落第生の長澤まさみ平泉成扮する校長先生に「この高専には、目的を自分で見つけて学生が入っているのにお前は・・・」と説教をするシーンで辛くなってそれ以降が見れていない。それを何回か繰り返している。29歳の自分は東京で何してるんだろう、したいことなんてないのに・・・と自分に結びつける。

作品の説明で「親を亡くした主人公は飲食店を開くことになる」とあったら、親を亡くすシーンで耐えられないだろうことが容易に想像つくので、亡くした後に面白い展開があるだろうに、その前に気持ちがダメになるのだった。『間宮兄弟』は随分昔に見て好きなんだけど、この前にトライしたときはビデオ屋店員の沢尻エリカをカレーパーティに誘うシーンで、「勇気出して女を誘う」という気持ちを思い出して、気持ちがダメになるのだった。

要するに、何かドラマチックなことが起こって、それで自分がかき乱されるのがイヤなのだと思う。小説もそう、ドラマがあって、感情を必要以上に動かされるのがとてもイヤだった。人生とか生活って本当はそうじゃないって思っているから。もっと情けなくて、後ろめたくて、埃かぶった不要なものでごちゃごちゃしたテーブルの上の花みたいなものじゃないんですかね?そういうのを無視した小綺麗な作品空間がもううんざりで、別に環境だけでなくて、思考とか言葉とかもそうで、そんな小綺麗な言葉で綴られるのがいやで村上春樹とか読めないんだと思う。汚くてしょうもなくて、後ろめたくて、でもその中でちょっとはよく生きようと一生懸命で、でも失敗したり、結局何もしなかったり、自分が小説を書くならそういうものが理想である。世の中にはドラマが多すぎるものが多くて耐えられない。

結局ブックオフちくま文庫の『整体入門』という本を買って出た。富士そばにいってなんか食べようと思ったけど、背中が極度に曲がったやばそうなジジイが外の券売機でぶつくさいいながら選んでるので躊躇したが、こういう爺さんは結局店に入らないだろうと推理し、店内の券売機で食券をかって食事をした。爺さんは結局入ってこなかった。前職の上司を思い出させるような表情をした爺さんでなんだか見たくなかった。

富士そばを後にして、武蔵小山駅前のベンチに腰掛けてしばらく黄昏た。NORIKIYOの『平成エクスプレス』を最初から聴き始めた。最近新譜を発表したタイラーザクリエイターが「俺のアルバムは最初から最後までちゃんと聞け」とつぶやいたか発言したのがツイッターでまわってきてそれも一理あるなと思ったが、タイラーのことが心から好きになれないし、「まずは俺たちのNORIKIYOからな」と思った。NORIKIYOの『平成エクスプレス』はマジでいいぞ。でも政治的なリリックや時事を絡めたリリックにはなんかそういうことじゃねえんだけどなあとも思ってしまう。それでも定期的にアルバムを発表するNORIKIYOは偉大だと思った。ラップはうますぎて言葉がさらさらと滑ってしまうんじゃないかと心配もする。Trapもなく落ち着いたビートでまとめられている。NORIKIYOは自分の年上だけれど、同世代の人だなあと思う。まさに同世代のOMSBやQNを起用している。俺にとってはタイラーよりもNORIKIYOなんだよ。

 

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NORIKIYOを聞きながらメガネをはずしてぼうっとした。目の前のベンチでにいちゃん2人がスマホタブレットをいじっていた。後ろのベンチでは40歳くらいの夫婦が1人は自転車に、1人はベンチに座っていた。右手にはタクシー乗り場があって、頻繁にタクシーに乗って何人もどこかに向かっていった。

ミニスカートとか、エロそうな女性が通ると、思わずメガネをつけてどんな感じかチェックした。メガネをしたついでに前にいるにいちゃんたちをみたら、それはにいちゃんたちではなくて、60歳くらいの男女だった。じいさんはFreddie gibbsみたいなジャージの着方をしていてにいちゃんに見えたのだった。

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Freddie Gibbs(左)

ばあさんの方は、にいちゃんなのかわからないタイプのばあさんだった。声を聞いてようやく女性だとわかった。女性だろうが男性だろうかそんなこと些細なことなんだが。2人はスマホをしきりに叩いていたので、きっとポケモンGOをしていたのだった。きっと武蔵小山駅前はなんらかのスポットなんだろうな。

最近インドの屋台の調理動画を投稿しているYOUTUBEをよく見ていて、人は仕事に対して気張っていないし、道端で人が何もせず過ごしているのをみて、裏山しくなったので、自分もそういう風にしたかった。住んでいる中延には残念ながらそういうところがなかった。駅前のベンチは喫煙所になっていて、汚くて座る気になれなかった。武蔵小山ならできる気がした。まさに隣町という距離感だった。隣町なんて灰色みたいな住宅地しかなかった札幌で育った自分には、ドラえもんでいう隣町って「こういうことかあ!」と納得できる距離感だった。

いつまでもそうしていたかったけどやはり帰らなきゃいけないので、しぶしぶ帰ることにした。せめて遠回りに帰った。帰る途中横断歩道の向かいで小さいじいさんがヨタヨタと歩いていた。ズボンのポケットからなにか紙切れのようなものを取り出して、その拍子に小銭を地面に落としていたが、ヨッぱらっているのかおかしいのかわからないけど気付かない様子で、おぼつかない足取りでそのまま去っていった。何円落としてたんだろうと思ってみたら100円玉3枚と10円玉1枚の310円だった。金持ちそうなじいさんじゃなかったから声をかけて渡したかったんだけど、これを確認したときにはじいさんは結構遠くまでいってしまっていた。じいさんとすれ違った人が怪訝そうな様子でじいさんを振り返っていてやっぱりヤバいじいさんなんだろう。声をかけて金を渡したとき「すんなり受け取ってくれなかったらどうしよう」と思ってしまい、310円を道端に置いて家路に戻った。その310円で何か買い物をしても後ろめたさを感じるだろうし、財布にも入れたくなかった。おかしいじいさんとトラブルに巻き込まれるかもしれないことを覚悟するには元気もなかった。「これが東京の人の距離感だな」とか、自分の優しくなさを都合よく東京のせいにして、5月の東京を歩いて帰った。